みなさま、あけましておめでとうございます。
昨年は多数の応援コメントなどありがとうございました。本年もよろしくお願いします。
今年もおっさんはおっさんありに自分の興味と夢を欲望のままにこなして、楽しく生きていこうと思います。
あけまして「おめでとうごいざます」を「ありがとうございます」と返事してはいけないのか。
さっそく年明けから深く考える議題です。迷宮入りです。頭の中真っ白な元旦だからなせる業です。
「おめでとう」
と言われたら
「ありがとう」
と返すのが世の常である。
しかしこと新年早々についてはそのロジックが、世界感が、ファンタジーが通用しなくなるのだ。
「結婚おめでとう!」
「大学合格したんだ、おめでとう」
「やっと就職できたのか、おめでとう☆」
私含め我々はこういう言葉に「ありがとうございます」とお返事してきたことだろう。
褒められたら素直に喜ぶ。素直に礼を言う。
人の行動の結果に対して、おめでとうが使われてきたわけである。
先ほどの例でいうなら、大学合格したのも結婚したのも(おっさんはまだしてないよ)就職できたのも、全部自分自身の行動を
おめでとう、よくやったと言ってもらっているわけだ。
「いやー、先輩、お店の開業おめでとうございます」⇒開業したのは人
「お、手術成功したんですね、おめでとうございます」⇒手術成功したお医者さんもしくは手術に耐えた患者さん
一方、自然現象的な、天体的なことに対しておめでとうが使わるのはどうだろう?
新年明けましたのは年号さんで、西暦さんで初日のおてんと様なわけだ。
そう、生命を持っていない彼らはありがとうと返事をすることができない。
なんか違和感を感じる。
仮にリュウセイグンが発生するという天体イベントが起きるとする。
「お、しし座流星群が発生したんですね おめでとうございます」
天文学者とかそっちの人の会話ならわかる。ずっと研究してきたんだもんな、ハカセ。よく頑張ってきたよ。わかる。助手君も感涙ものだろう。
だけど、この場合しし座流星群を待望の観測できたという行動におめでとうといわれているのですし。
探したら他にもけっこーあった、おめでとうの一方通行
よくよく考えてみると、「新年あけましておめでとうございます」のようなことが他にもあった。おめでとうの一方通行。
「メリークリスマス」だ。クリスマスおめでとう!
「ハッピーハロウィーン」だ。コスプレ天国!
「ハッピーバレンタイン」だ。愛をください。
しかしちょっと待ってほしい。これらのイベントの起源は
キリストさんに、ジャックさん(ジャック オウ ランターン)に、聖バレンタインさんだ。人間だ。人間がいるぞ。
彼らの行動に対してじゃないのか。
じゃあ新年は?天地創造した神へか?西暦のもとになったグレゴリウスへか?
・・・・・深い。深い話だ。
わからない・・・おっさんにはもうわからない・・・新年・・・あけて・・・・う・・・うれし・・・・い・・・
しかしこれだけは言える。
全国民、全世界が喜ぶこと。これらの普遍的なイベントにはもうありがとうと返す必要はないのだ。
「おめでとうございます」「おめでとうございます」
みんなが偶像崇拝の民なのだ。
見えない主体に連呼し、賞賛の声をあげる。それでいいのだ。
「ありがとう」
の返事は期待しない。会話のキャッチボールは禁止。
無償の愛だ。
今年こそは親戚に言って返したい。彼らも返事を待っているだろうし。
親「あけましておめでとう。今年もよろしく」
お「ありがとう。今年もよろしく」