小説「偽物語」から学ぶ、本当の価値
以下2人のやりとり
阿良々木「偽善。」
影縫「偽。つまりは人為や。善はもとよりすべて偽善であり。だからこそ、そこには善であろうとゆう意図があるちゅうてな。
これは貝木君が昔よう言っとった思考ゲームやねんけどな。本物とそれとまったく同じ、区別もつかんような偽物とどっちのほうが価値があると思う?」
阿良々木「本物と偽物?」
影縫「これに対するうちの答えは、当然本物の方が価値があるやった。忍野君は等価値やゆうとったかな。けど、貝木君は、こないゆうとったわ。偽物の方が圧倒的に価値があるってな。そこに本物になろうという意志があるだけ 偽物の方が本物のよりも本物だ。」
引用元: 西尾維新「偽物語(上)」
偽物語(上) (講談社BOX)
主人公の阿良々木とゴーストバスター影縫との会話。
影縫は大学時代の旧友である忍野・貝木の考えをおもむろに思い出していた。
本物>偽物影縫
本物=偽物忍野
本物<偽物貝木
それぞれの考え方を不等式で記述するとこんな感じ。
三者三様の考え。同じ大学の友人といえどもまるで違う。
これを仮に現実に照らして考えてみる。
たとえば、本物といわれるのは「優秀な社員」「もてるイケメン」「恵まれた家庭」
逆にこの際、偽物と定義するのは「ダメ社員」「もてないブサイク」「ひとりぼっち」
というニュアンスにしてみる。
(一般的、かつ私の主観が入っていることはご了承を)
偽物は、努力をする。本物に近づこうとする。本物が特になにをするでもなく、現状維持を続けている一方で。
うさぎとカメ。 意思の問題。 石の精神。
あなたは偽物?本物になりたい?本物のが幸せ?偽物だから努力しよっか?
能力差で本物偽物という区別はないのかもしれない。
ただ自分がまだまだ本物ではない、至らない存在であると鼓舞し続けることは有意義かもしれない。
偽物語の本質はそこにある。
追記:2016.3
今騒ぎになっている、「ショーンKの学歴詐称問題」。まさに偽物が本物の努力をし、本物よりも本物になっていた。
10年近く世間は騙されており、また、なんの疑いもなかった。
ダウンタウンの松本も言っていたが、高卒でここまで演じられていた事が逆にすごいと。確かにそう思えてしまう。
しかも、とある報道番組のメインコメンテーターの中では1番人気(外見のハロー効果もあると思うが)であったらしい。
本物とは何なのか、偽物とはほんとうに能力がないのか。
そんな事を考えさせられる、物語だった。